病名が分かった日

念のため新たに3軒、
整形外科を受診してみましたが、
軽い頸椎症との診断に変わりはありませんでした。

そんな時、会社の先輩が医療コンサルタントの友人に相談して下さるとのことで、これまでの症状を一通り、メールで報告しました。

繊維筋痛症じゃないかな?」とのアドバイスと共に、学会の病院リストが送られてきました。

全身の酷い痛み…
色んな科を受診しても病名が分からない…

あ、私この病気かもしれない…

とにかく早く受診したい一心で、
当てもなく翌日朝一で都内まで出かけ(少しでも早く診てもらえるよう、病院の集まる都内に朝早く出かけておいたのです)、
病院の受付時間開始と同時に、
片っ端から電話をかけました。

想定通り、なかなか直ぐに診てもらえる病院は現れず…。
初診の予約は数ヶ月後と言われることもありました。

10軒程電話をかけた後、
嬉しいことに、数時間後に空きがありますと仰る病院が見つかりました!

カフェで痛い身体をさすりながら待つこと数時間。

病院を受診し一定の検査を経て、
その日、初めて、繊維筋痛症と診断されました。

トリプタノール、リリカを処方して頂き、投薬療法を試みることに。

私、やっぱり痛かったんだ!
勘違いや気のせいじゃなかったんだ!

何故だか嬉しい気持ちでした。

先生もとてもあたたかい方で、
お辛かったですねと寄り添ってくださいました。

病院を出て直ぐ、母と夫に電話で報告。帰宅後、上司にも報告をしました。

病気との闘いのはじまりでもあったこの日ですが、
ようやく一歩進んだね、頑張ったね…といった、あたたかい言葉がとても嬉しかったことを覚えています。



ゆっくりできない

休職期間中も、気持ちは焦るばかり。
早く仕事に戻らなければ、その一心でした。

2ヶ月程療養し、まだまだ万全ではありませんでしたが、日常生活に不自由が無くなった時点で、何とか職場に復帰しました。

職場には非常に恵まれていたので、周囲の方々にも気を遣って頂き、無理なく復職できたものの、
自分の身体がついてこない事に薄々気がついてはいました。

体力が落ちていたこともあり、職場と家庭の往復だけでヘトヘトに。

また、復職してからは、身体の痛みに加え、原因不明の発熱、膀胱炎、角膜炎を繰り返す等、あらゆる身体の不調を発症。。。

今考えると、何らかの身体の拒否反応だったのかもしれません。

デスクワーク中の首から背中の痛みに耐えられなくなり、昼休みは医務室で横になる生活を繰り返していました。

そして復職後4カ月程が経った時、再度身体の痛みに襲われました。

出社したはいいものの座っていることができない程の痛みに苛まれ早退する…こんな毎日を数日過ごした後、
私はまた会社に行くことが出来なくなりました。


線維筋痛症のはじまり (3)

取り急ぎ、会社からは1週間の休暇を頂き、療養することに。

 

その間も、症状は悪化するばかりでした。

 

少し外出すると背中が痛み、息苦しくなる・・・

首の痛みが酷く寝られない・・・

痺れの範囲が腰まで拡がってくる・・・

 

また、腕が使えないことで、日常生活にも支障をきたしました。

食事ができない、顔を洗えない、シャンプーができない、

料理も洗濯もできない・・・

夫や実家の助け無しには日常生活が送れない程、症状は悪化しました。

 

そんな中で一番辛かったことは、自分は何の病気なのか、

どの病院を受診しても、なかなか分からなかったことでした。

線維筋痛症という病名はまだまだ認知度が低く、

何年も自分が何の病気なのか分からず、痛みに苦しんでいる方が多いとのことです)

 

20軒以上、病院を転々としました。

 

頚椎のスペシャリストといわれる医師には、

ただの頚椎症です、ヘルニアでも無いのにそこまでの痛みは出ないはずと軽くあしらわれ、精神的なものでは?と抗うつ剤を処方されました。

会社に行きたくないだけの人に診断書は書けないよ、との辛らつな一言もありました。

 

内科、循環器科でも精密検査を受けましたが、異常は見つからず。

 

心療内科も受診しましたが、うつ症状の傾向は無いとの診断でした。

 

明らかに頚椎症の痛みを越している・・・身体中が痛い・・・

 

何の病気でもないとしたら、自分の身体はどうなってしまったんだろう。

いっそどこかに異常が見つかってくれと願うようになっていました。

 

身体を引きずりながら、知り合いが勧めてくれた鍼、整体などにも、

どんなに遠くても片っ端から通いました。

 

1週間の休暇期間が過ぎましたが、とても仕事に戻れる状態ではありませんでした。

 

私は本当に痛みを感じているのだろうか?

色んな医師が言うとおり、本当は身体のどこにも異常など無くて、

都合よく痛いと思い込んでるだけなんじゃないか?

 

本当に私は仕事に戻れるのだろうか?

いつまで休んでも治らないのではないか?

キャリアに傷がつくのではないか?

 

仕事もしていない、何もできない自分に何の価値があるんだろう?

価値のない自分になったら、周りの人が離れていってしまうんじゃないか?

夫にも、家族にも、友人にも、愛されなくなってしまうんじゃないか?

 

身体が弱ってしまったことで、精神的にも不安定になり、余計な不安が押し寄せてきました。

 

線維筋痛症のはじまり (2)

あまりにも痛みが酷かったので、翌日、近所の整形外科を受診。

結果は、頚椎症との診断でした。

 

頚椎の後湾(ストレートネックの延長のような症状でしょうか)や、

首が細く長いこと、肩周りの筋肉が不十分といった原因で、

どうしても首に負担がかかりやすいとのこと。

 

また、翻訳の仕事が多く、1日中パソコンに張り付くことの多かった生活も、

悪影響を与えているとのことでした。

 

急性の痛みが引くまでは、首のカラー(首に巻くサポーター)をしておくようにと言われました。

 

その翌日、首に分厚いカラーを巻いて出社。

不恰好な姿に周囲の視線を気にしながらも勤務を続けていましたが、

痛みの程度はどんどん酷くなり、範囲も拡がっていきました。

 

当初はどうにかなるだろう、すぐに治るだろうと楽観視していた私でしたが、

だんだんと不安は増幅していきました。

 

身体の痛みは毎日少しずつ拡がっていきました。

朝起きる度に痛みの箇所が1つずつ増えていくような感覚でした。

明日はどこが痛くなるんだろうという恐怖もありました。

 

今日は首が前後左右に回らない・・・

翌朝起床すると、次は肩にずしんという痛み・・・

その翌朝、今度は、肩の痛みで腕が全く上がらなくなり、指が痺れている・・・

 

腕が全く上がらなくなり、指が痺れ動かなくなった時、

ようやく私は、ああもうこれは働けない、パソコンが打てない、会社を休もうと決めました。

 

 

 

 

 

 

 

 

線維筋痛症のはじまり (1)

線維筋痛症を発症した1年前まで、

私は健康で元気な、そしてスポーツの大好きな普通の会社員でした。

 

小中高と運動部に所属し、大学時代には流行のマラソンに熱中。

社会人になってからもジム通いは欠かさず、友人や家族と駅伝大会に出場したりと、

本当に病気とは無縁の人生だったなと思います。

 

自分が病気になる、働けなくなる・・・なんて考えたこともなかった私にとって、

線維筋痛症の発症は、大きな戸惑いでした。

 

そして、同時に、本当に価値のある出来事だったと心から思います。

 

元気でいられることのありがたさ、いかに周りに支えられているかを実感できたこと。

 

これまで全速力で駆け抜けるばかりだった(立ち止まれなかった)人生を振り返るきっかけになったこと。

 

心にこびりついた誤った価値観、不必要なプライドを見直せたこと。

 

本当に大事なことは何かが明確になったこと。

 

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はじまりは、昨年5月に発生した首の痛みでした。

 

首を左右前後に動かすと痛みが生じるので、

振り返る際も首を動かさず身体ごと相手に向ける・・など、

まるでロボットのような動きで数日過ごしていました。

 

会社では、若いのに五十肩か~?などとからかわれ、

私も寝違えたかな?少し経てば治るかな?程度に考えていました。

 

しかし、数日後の会社帰り、経験したことのないような激痛が首に走りました。

 

慌てて最寄り駅の薬局で、湿布を購入。

とにかく早くどうにかしないと、という一心で、恥ずかしさも吹っ飛んだのか、

薬局を出た路上で、すぐに首に湿布を貼ったことをよく覚えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここに書いていきたいこと

線維筋痛症を発症し、1年程が経ちました。

 

線維筋痛症は全身に痛みが生じる疾患で、

現段階では、原因や治療法は明確になっていません。

 

この1年間、身体の痛みと闘うだけでなく、病気とどう向き合っていくか悩んだり、

精神的に落ち込んでしまったり、仕事や家庭との向き合い方が変化したり・・・

色々な貴重な経験をしたように思います。

 

ブログを始めたのは、

これまでを振り返り、これからを記録することで、

自分の心と身体を丁寧に観察してみようと考えたからです。

 

あくまでも自分のための記録として書いていくつもりですが、

線維筋痛症を患う方、その他の病気を患う方、悩みを抱えている方などとつながり、

励ましあって生きていくきっかけにもなればいいなと思っています。